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CD:小霜和也 Agency:博報堂 Production:ニッテンアルティ
PS2発売の前年、小霜は博報堂から独立したが、SCE業務に関しては変わらずCD/Cの立場でクリエイティブに参加していた。PS、PS2に関してはCMで売ったように言われることが多いが、PS2の立ち上がりはパブリシティだけで成功が見えていた。社長(当時)の久夛良木さんがいわばスポークスマンとなり、PS2の将来性や自身の夢についてあちこちで語りまくったことがなによりのキャンペーンとなっていた。じっさい、SCE内でローンチのCM展開は必要ないのではという議論もなされたほどで、PS2の機能や価値は広告をするまでもなく世の中に伝わり切っており、新発売CMは発売日を盛り上げるだけでじゅうぶんだった。自分がPRとマスの相乗効果を意識し始め、np.の「CA(SU)AL」モデルに到達したベースはここにある。ただ、世の中のイメージとはちがい、PS2はビジネス的に必ずしも予定通りとは言えなかったと思う。ハード1台あたりのソフト装着枚数がPSよりも落ちたからだ。自分の分析では、PS2は映画をDVDで視聴するスタイルと共に普及した感があるが、そこを利益化できなかったこと、また、ブロードバンド環境の整備が予想よりも遅れたために、ソフト配信による拡大戦略がつまづいたことなどがその理由だ。ローンチ以降の広告表現はPSの成功セオリーを継続するだけでなく、さらなる強さと効率が求められた。SCEマーケティング本部も経験値を積み、クリエイティブアイデアの要求値はますます高くなっていった。そんな状況の中、CMキャンペーンとしていろんな斬新なアイデアが生まれることとなる。セールスも伸び、据え置きゲーム機としては「SCE独り勝ち」状況ではあったが、セガが「湯川専務キャンペーン」で自滅し、プラットフォームホルダーとして脱落するなど、ゲーム業界全体としては倦怠感が漂い始めていた。ソフト制作コストの上昇もゲームソフトビジネスに保守化傾向をもたらした。個人的には来るべきPS3ビジネスについて大いなる不安と問題意識を感じ、広告表現よりもビジネスモデルの提案に意識が傾くようになっていった。
↓ 自分が関わったPlayStation2の主な広告